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Vol.7

ありえな〜い

 今回最初に行った 48番良参寺では学校行事の一環で来た高校生の一群と一緒になった。お寺の境内を埋め尽くすジャージ姿の男女高校生。なかなか珍しい光景だぞ。みんなお肌がツヤツヤ、ピカピカ。あきらかに肌のツヤが違う数名は引率の先生と思われる。「善の綱」を嬉々としてひっぱる者、「なに、これ〜」と石仏を撫でる者・・・。ディズニーランドと同じ感覚でお寺を楽しんじゃってるなぁ、若いっていいなぁ?。境内の槙柏の樹に「子抱観音」の文字。昭和 58年に樹の根元に観音様の形のコブが現れたという。なるほど、そう言えば頭部、胴体、そしてでこぼこが子供を抱いている腕のように見える。自然って不思議〜、なんて思っていると、一団の中から突然「ありえねぇ〜」という声。見ると、数名の女子達が先ほどの子抱観音の由来を読みながら騒いでいる。厳粛なお寺で若者が「ありえねぇ〜」と叫んでいるこの状況のほうがありえねぇ・・・と思いながら山門を出る私であった。


お寺で歴史のお勉強

  良参寺から海岸線を北上していくと左手に白亜に輝く野間灯台が現れる。1921(大正 10)に点灯以来長きに渡り伊勢湾を行き交う船を見守り続け、今や知多半島のシンボル的存在。空と海の青、そして灯台の白のコントラストはギリシャの島の景色のようだ。リゾート気分で車を走らせていると夏には多くの人で賑わう小野浦海水浴場が見えてくる。その少し先に 49? 53、 55? 57番のお寺が集まる地域がある( 54番は半田市にある)。その中でも、隣接している  50番大御堂寺、 51番野間大坊は歴史的背景から観光コースにも組み込まれていて、初心者でもお参りしやすいお寺。今回は私も少し観光気分で家族を連れでお参りしてみた。実はここ、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の父・義朝が殺害された歴史を今に伝えるお寺。平治の乱に敗れた源義朝は逃げる途中、野間を本拠地としていた長田忠政のもとに身をよせたのだが、平家からの恩賞を狙った忠政・景政親子に暗殺されてしまう。襲われた時、義朝は入浴中で抵抗ができず、「我に木太刀の一本なりともあらば・・・」とつぶやいて絶命した・・・との事。なんともおどろおどろした言い伝えの残るお寺で、忠政が討ち取った義朝の首を洗ったと言われる、その名も「血池」が大御堂寺境内前のうっそうと木々が茂る林の中にあったりする。背筋、ぞぞっ!対象的に広く明るい境内の一角には義朝の墓があり、彼の絶句にちなんでたくさんの小さな木刀が奉納されている。義朝の墓の近くには織田信長の息子・信孝の墓あり、前方には源頼朝が寄進したとされる山門ありで、歴史好きの旦那はひとつひとつ熱心に見入っていた。既に何度か私と一緒にお遍路を経験した事もある我が子はというと、慣れた手つきでお賽銭を投げ、お参り。う〜ん、なかなかさまになってるぞ。大御堂寺と野間大坊を結ぶ参道と野間大坊境内には本四国のお砂踏みができるコースがあって、ぐるっと見て周るだけで本四国をお参りしたのと同じご利益がある。これも観光客を呼ぶのに一役買っているようだ。本堂にはたくさんのお守りやお遍路用品が売られていて、見るだけでも楽しい。なんとなく京都や鎌倉のお寺の光景を思い出すなぁ。初めて来た旦那もなかなか楽しめた様子(お参りを楽しむというのも不謹慎だけど)。海遊びの帰りや南知多観光の折にちょっと寄ってお参りしてみては如何だろう。
さて、源義朝は入浴中に暗殺されたのであるが、その湯殿跡が 55番法山寺にある。野間大坊あたりから法山寺まで、長田家のお屋敷だったという事になるが、ずいぶん広い敷地だったのね?。羨ましい。湯殿跡は寺の前の急坂を下って左へしばらく行った所にあった。後方に義朝像が建っているのだが、その顔が湯殿を睨み付けているようにも見える。さぞ無念だった事だろう。お風呂入ってる時に襲われたら、何も出来ないもんねぇ・・・。ところで「湯殿」は「ゆどの」ですよ、皆さん(え、当然?)。ご住職の前で「ゆでん」と口走ってしまい、失笑を買ってしまった。「ゆでん」じゃ「油田」じゃんねぇ・・・。歴史の勉強の前に日本語の勉強をしろよ、っつー話である(ああ、恥ずかしい)。

 

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