「北川幸太郎」は尾張万歳家元としての名前。本名・北川正己氏は知多市八幡の常滑街道沿いに代々続く魚屋さんのご主人。大正の末期、当時の文部省による尾張万歳についての調査があった際に、北川氏の家に、正当な尾張万歳師・長福太夫であることを証する古文書が確認されたという。
地元の人々によって長く伝えられてきた尾張万歳は、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
知多市寺本界隈などに伝わる尾張万歳は、もともと農閑期に収入を得るための仕事だった。期間は正月の一ヶ月間だけだが、かなりの高収入だったという。しかし、昭和30年代後半に入り、様々な新しいメディア・娯楽の登場などもあって様相は激変。北川さんも多い時には1年に100回以上の舞台があったが、今は30回を超す程度という。これも家元であればこそで、保存会会長としての活動の色彩も濃い。知多市八幡の生まれ育ち。幼年期には、今はコンビナート建設によってなくなってしまった近くの浜でよく遊んだという。学校を卒業し、5人兄弟の長男である北川さんは家業の魚屋「魚幸」を継いでいた。
「ちょうどはたちになった頃、村の神社の祭りで、所属する青年団の余興に参加することになったんです。指導していたのは父親である先代の幸太郎。その時に「三曲万歳」という万歳芝居をやったんですが、これが私にとっての最初の万歳になりましたね」と当時を振り返る。数年後、先代が病に倒れ、北川さんは5代目長福太夫・幸太郎となった。
北川さんの家には多くの著名な万歳関係者や芸能人が訪れている。万歳について全国を調べて回っていた俳優・小沢昭一も訪れているという。また、先代が書き溜めたものの他、万歳に関する多くの資料がある。さながら貴重な万歳博物館のようであり、北川さんは生き字引、語り部でもある。

平成10年に八幡地区の有志を中心にして「尾張万歳後援会」ができた。後援会への恩返しのつもりで始めたのが例年元日に八幡神社で行われる万歳の奉納。今年で6年目となった。北川さんは毎年この奉納で太夫を演じているが、もちろん若い世代への伝統文化継承にも余念がない。北川さんの演技をナマで見たいという方は八幡神社での奉納の他、佐布里の梅まつりへ行かれるとよい(3月第1日曜日・梅の館。*一般・子供たちによる稽古の見学が可能。欄外参照)当然というべきか、北川さんの話し方は普通の人とはちょっと違う。はっきりとした割舌、少し高めのトーンだ。そして声が大きい。
「万歳の内容には古いこともありますし、はっきり話さないとお客さんにちゃんと伝わらないんです。マイクなどを使わない時代から、野外の舞台でやってましたからねぇ。(声は大きくする、顔はくしゃっとこわすぐらいの笑い顔でやる)というのが万歳の鉄則なんです。市場で魚の競りでもこの声ですから、もう地声です。内緒話というものができないんですよ」と言いながら、やはり顔をくしゃっとこわして笑う。まだまだ元気な75歳。さすがに話も立ち居振る舞いも(かくしゃく)としている。
魚屋さんとしては伊勢湾で捕れた「地もの」にこだわっている。
若い時からジャズが好きで、今年も年末に来日するグレン・ミラー楽団を聞くのが楽しみという。
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